プロフィール

【現在】

2児の父親。育児と投資中心の生活を満喫中。

 

投資も子育ても「複利」と「トレードオフ」を常に考え、
資産の最大化と子供の将来を考えながら過ごす、40代の元テキトー金融マン。

 

有価証券投資による配当と賃貸収入をベースに一応(セミ?)リタイア達成。
※妻が働いているため、安定した生活が成り立つレベル

 

セミリタイアまでの軌跡:くんこさんのプロフィール - はてな (hatena.ne.jp)

 

  

【中学・高校時代】

中学校まで落ちこぼれ。
下から数えた方が圧倒的に早い場所にいた。
高校は、半分お情けで入れてもらった自称「進学校」。
高1で初めて受けた全国模試(英国数)は、偏差値30台。


高2で出会った友人に受験のハウツー本を紹介されて、
「効率」、「ノウハウ」にハマる。

 

すぐに中途半端な成果を手にしたことで
「勉強時間」ではなく、「効率」のみが大事だと残念な勘違い(言い訳)する。
結果、努力(暗記)を伴う科目(社会等)を蔑ろにし無事浪人が決まる。


【浪人時代】
浪人中、障害児学童保育の指導員のアルバイトをする。


偽善者ばかりと偏見を持っていた業界だが、
そこで働く人と仕事内容(世界)に何故かハマる。


日本福祉大学を受験するなど迷走するも、
運良く第一志望の早稲田大学に合格し、上京した。


【大学時代】
最初に出会った友人の影響でなぜかバンドを始める。


大学4年生時、やりたいこともやる気もなく、
就活が嫌でカナダに一年語学留学(遊学)に。


留学中は真面目に英語に取り組む。
語学学校では学べないリアルな英語を学ぶべく、
現地人が行く社交ダンス教室、専門学校(バーテンダー)に通い、
積極的にカナダ人と関わった。


モラトリアムを延長するもやりたいことも見つからず。
当時の就職活動期の中盤にあたる3月末までカナダを満喫した。


準備不十分でやる気も時間もなく不完全燃焼の就活だった。
就職氷河期を完全に舐めていた。


【就職と投資との出会い】
意識高い系を装い受けたベンチャー企業から内定をいただくも、
結局ビビって地味な一部上場企業(メーカー)に就職。


そんなチキンが入った会社は、
2ちゃんねるで「DQN会社」と揶揄される会社そのもの。
毎朝朝礼で社訓を叫んでた。


配属されたのは、パワハラアルハラがデフォルトの支店。
遠距離恋愛もうまくいかず、公私ともに低迷期。


そんな私を憐れんだ友人から中国投資を紹介される。
後ろ向きな理由により早期退職を真剣に目指すことになる。
(参考: 中国株投資


新人で仕事がないのに帰宅はほぼ毎日終電。
(朝は支店掃除のために早朝出勤)
寝不足がたたり、営業車で事故(自損)を起こす。
車は大破したが、運良く自分は無傷だった。

 

この事故がきっかけで会社を辞めることを決意した。
同期中1番退職という不名誉な称号を獲得。


【大学院(留学)】
失ってしまった「新卒カード」を取り戻すため、
学歴ロンダリングを試み、
(親族からお金を借り)アメリカの大学院(経営学修士)へ進学。


尊敬する教授に出会い、
その方の影響でインベストメント・バンカーを目指すことに。


【就職】
大学院卒業後帰国。
日本の財閥系金融機関の投資銀行部門で約10年間働く。


大企業のCFOや外国の財務大臣へのプレゼンや会食。
映画のワンシーンのような経験をする。

一方、業務の大半は泥臭く、深夜にも及ぶ雑務ばかりだった。
何より人間関係(特に社内政治)に苦労した。

 

苦しいことも多かったが、
投資する上で必要な知識(※)を得ることができ、
早期退職実現の蓋然性を高めることができたと思う。
金利(債券)及び為替に特化した業務。
 証券アナリストおよび米国公認会計士の資格取得。

 

職業柄、投資における制約(*社内コンプラ)があった。
忙しすぎた業務とこれがよかった。

感情的に売買する余地もなく、
原則に従い長期保有戦略を守れたのが功を奏した。
※有価証券の売買に上席の承認がいるなど

 

仕事自体はやりがいがあり好きだったが、
社内の政治的なしがらみに耐えられなかった。
仲の良い同僚はいたが、一緒に働きたくないような人格の方も多かった。

 

投資用不動産を購入。
有価証券からの配当に加え、
賃貸収入を得たことで早期退職の蓋然性が格段に上がった。

 

【転職】
長男誕生、激務による健康の心配、
何より人間関係による疲弊により金融機関を辞めた。

 

ワーク・ライフ・バランスを求め監査法人に転職するも、
職務内容と会計士との文化の違いにすぐに辟易し、数年で退社。

 

つくづく社会人に向いていない性格だった。